振り返ってみれば、予備校には現役から浪人の四年間通った。デッサン&デッサン、油絵 × 油絵。毎日朝から晩まで、労働のように絵を描いた。 絵筆を持つことが、嫌になってしまった。そもそも絵を描くことが、楽しいから選んだ道だったのに、。
木、鉄、紙などの素材をベースにした、インスタレーションや立体の作品が、当時の現代美術の主流だった、ポストもの派と言われたカテゴリーだ。身近な予備校の講師が、パリとヴェネツィアのビエンナーレに 選ばれた。とても強く憧れた。大学に入学したら絵画は卒業するものだと、そう思っていた。同時期に、海外のニューペインティングの流行を 知る。『美術手帖』の特集だった。インターネットもないし、アートの情報は、とにかく『美術手帖(ビテチョウ)』くらいだった。
えっ?絵・描いていいんだ。突然、解放されたような気分になった。やった!絵画の復活だ。バスキア、バセリッツ、シュナーベル。キースヘリングは友達みたいに原宿にいて、壁に絵を描いていた。 ファッションのように、流行ばかりを気にしていたが、海外のアーティストは自分以外に関心がなく、ずっと継続して自身の作風を貫いている事を知った。絵画は終わっていなかった。
入学と同時に絵画卒業の予定はキャンセルした。